2023/05/18

マジな自分に酔いしれてみた。

半生を振り返るシリーズを続けたいのですが、オフレコ体験だらけであることから、更新難に陥っています。それでも少しづつ読者の方が増え始めており、嬉しい限りです。3月にスタートした「竹田直哉の格納庫」、これが中々UP出来ずにおりまして、チャンネル登録者数が全く伸びない状況にあります。まぁ、公開格納庫なだけなので、仕方がないとは思っています。

さて、次のライブはピアニストのノリ・オチアイとの双頭トリオで6月1日、立川ジェシージェームスです。ブッチャケ、僕のチャレンジセッションになるのかもしれません。お送りする演目には自身の今までのムーヴメントではありえなかったモーダルな曲が数曲入っているのです。和声的なⅡーⅤ7_Ⅰが全くない曲想にて如何にして自分の歌い方が可能か?ノリさんが面白がっているようにも思えてしまうのですが、実際のところは自分がやってみたくありぃの、チャンスだな?なんて思ったりしているのです。勿論、自分のスタイルは曲げない......って言うか、普通に口ずさめることしか出来ないですし、それを受け入れてくれるノリ・オチアイは現代のコンテンポラリージャズスタイルでありながら、この人の右に出る者はいないのではないか?と思えているくらいジャズのベーシックな部分を充分に持ち合わせ理解してくれています。よって、僕は色々な事を教えてもらい、かつリスペクトしまくりの逸材なのです。オールドジャズスタイルを知っていることは、彼に言わせれば当たり前の事みたいですが、僕の知っている限りのコンテンポラリージャズスタイルのプレイヤーのほとんどがスゥイングという言葉をも使えないレベルにいるのが現状と言ったところなのです。

僕のライブ等における活動が先細り傾向の道を辿っております。ちょっと胃が痛いのが治らなくありナーバスにもなっていますが、今はとにかく考える時期だと思い、何はともあれ思考し続けています。

NaoyaTakeda



2023/05/16

ヤバき1日に浸ってみた。

2023/05/16、今日は都内某総合病院に定期検診のため来ているのですが……検査結果待ちの現在、僕はもの凄くブルーな精神状態にあります。絶対に良くない結果だと思えるからなんですね、ここんとこ体調が良くないのですよ、ヤバいんです。

そんなこんなで午後4時、とっくに帰ってきて一寝入りして、遅めの昼食を採り現在は楽器に向かっています。検査の結果は前回と平行線、良くも悪くもなっておりませんでした。結局のところ、脂肪肝、中性脂肪とこの2つでして、減量するしか手段がないのです。やってられません。

悪き精神状態の原因は先々、重度の先細り傾向にあるライブ活動にあるのです。僕の場合、闇雲にライブを企てても集客力の弱さから、仕事として成立しない問題に直面しております。よって対策を練る日々に突入しているわけですが、やはりプレイヤーとしての血が騷ぎっ放しであるからギグがしたくてたまりません。事態は深刻なわけですが、今ひとつピンと来ていない自分を自分で叱咤しなければいけない状況なんです。

昨今に至るまではコロナ関連の支援金を活動費にあてて、JAMセッションに参加して技能をキープしてきましたが、それもそろそろジ・エンドと言ったところで、資金の底が見えてきました。楽しき日々が次々に失われていく昨今なんです。

"脳"が自分にどれくらいあるのか?自身の事だけにわかりませんが、とにかく、考えに考え抜かなくてはならない時期であることに間違いありません。

NaoyaTakeda

2023/05/13

半生を振り返ってみた(7)

20歳を過ぎていたのは記憶しているのですが、西暦何年頃、季節、全く割り出すことが出来ない出来事です。

幼馴染のフィッシャーマンから一本の電話がかかってきました。「手を貸してほしい.....夜の10時過ぎに迎えに行く.....」と。約束通りの時間に愛車のトヨタのランドクルーザーで迎えに来た彼は僕を乗せ、再び車を走らせると「〇川市に行く.....」とだけ告げました。「何が起きたんだよ!!」と僕、「......大量のコミックスがナイスな状態で捨ててあったんだよ、売れるぞぉぉう!!」とフィッシャーマン、なるほどねと思った僕は半分のわけまいをちゃんとくれるのか?不安になりました。

現場は都営住宅の敷地内でした。フィッシャーマンのサックスの先生の住居でもありぃの。ゴミ捨て場に向かうと思いきや、階段を上っていくではないですか!?後をついていくと足を止めたフィッシャーマンは「これだよ.....」ぇえ!?確かにきれいなコミックスは大量にあったのですが、その下に風呂敷のようなものが敷いてあるではないですか!?「おい!?これ....引っ越しか何かでもっていくんじゃあ」「シーッ!声がでかいよ、竹ちゃん!!」僕には窃盗の片棒を担がされているような気になりながらも、二人で無駄な動きひとつもなく作業を開始、15分位でランクルにすべてのコミックスを乗せ、仕事を終了させました。

帰り道、やっとリラックスできて一息つきながら帰るランクルのなかでフィッシャーマンは「6:4ね!」と。僕はマジかよ!と思いながら、ま、いいかと............

次の日にそれをブック〇〇へ運び、結果7千円弱の現金が手渡され僕には3千円くらいだったか?へんな仕事を手伝わされました。

NaoyaTakeda

2023/05/11

半生を振り返ってみた(6)

「アンダーグラウンドフィッシング」に夢中になったのが、1998年~2000年位だったと記憶しています。どういう行為に及ぶかというと、近隣の釣り禁止野池にて見回りのオヤジにとっ捕まることなく巨大ブラックバスを釣り上げるみたいな.......当時、それにいそしんでいる人口の平均年齢を述べますと12歳くらいといったところでしょう。そこに僕と幼馴染のフィッシャーマンの2人で突如参入した事から平均年齢はグッと上がりました。

得てして魚は日が昇った時と日が落ちる時が狙い時、そして見回りのオヤジに至って、その頃は見事に退いていることから伸び伸び取り組める訳ですが、僕の仕事柄、日が落ちる時間帯は仕事の現場に向かってクルマを走らせていて.......しかし、誘惑に負けてしまうのは自然の生理現象、ダークスーツにネクタイ姿で釣りにいそしみました。「あと10分....」「もうあと5分だけ....」といった感じでリハーサルをすっ飛ばすこともしばし.......ぶっちゃけ、本番に遅れたこともありました。因みに今現在はそんな最低な輩は許しません!そんな自分はヤンピコンピしました。本当です!!

そんな釣り中毒を罪悪に感じ始め、音楽で自立できるまで竿を置く決意をしたのです。その時の僕は(2,3年でまた始められる)と信じて疑はなかったのですが......今を持って竿を握ることはありません。

NaoyaTakeda

2023/05/10

半生を振り替えってみた(5)

 1996年、1997年の2年間を友人のラテンコンガ奏者のプロジェクトに参加させて貰いました。ヴィブラフォンも叩きましたが、主に力を注いだのは専属歌手の為の作曲でした。

その時、世に出せた曲はYouTube「竹田直哉の格納庫」にて聴けますので、どうかひとつ.......

あえて脱線と言わせてもらいますが、それをしていた2年間は実に有意義でありました。良し悪し共に、すべてが素晴らしい経験であったと今では胸を張って言えます。ここでは作曲に関してだけ述べさせて貰いますが、自分にはプロの作曲家としての才能がなかった事を思い知らされたのです。良いと思える1曲を1週間も2週間もかかって作っていちゃあ駄目なんです。駄作であろうが、プロとしてのレベルに達する曲を"溢れ出んばかりに"1日に3,4曲作れる逸材でないと...............それが例えパクリ丸出しであろうが..........

そんな最中、今も口にする持論、哲学かな?が生まれました。それは「作曲は上手くなるもの」という事です。よって、やっていないと下手にもなるから不思議なんですね。僕もかれこれ15年以上曲を書いていないので、再び始めた暁には、駄作を4,5曲作ってからでないと、作曲の波にはのれないと思っています。異常な音痴でない限り、音楽を好きであれば、良い曲は作れるようになると僕は考えています。

僕にとっての”溢れ出んばかりに”とは何なのか?を考えた時に、JAZZのアドリブだと思えたのは、すごく大きな発見でした。おのずと自分が何をしていくべきか?が明確に解った瞬間でした。

NaoyaTakeda

2023/05/09

半生を振り返ってみた(4)

「好きあっていても交際できないってあるんだな.......」男女交際の限界を知ってしまったのが17歳ででした。高校で留年した僕は高校一年生で既に17歳だった訳ですが、それって満更悪い事ばかりじゃあなかったのです。

女子からすると、いわゆる年上の大人の男であれたのですから、ティーンエイジャー時の一歳の違いってデカいっすよー、自分の小遣いはバイトで得ていたし、原チャリで登校していたし、ネクタイはスゲー細くてズボンは型の良いスラックスだったし........楽しかったりしたのです。そんな事が最大限に生かされ、同じクラスに彼女まで出来てしまった自分に一時酔いしれたりしちゃって......マジでその子を好きで、人生なんて楽勝だと思うところまで登りつめてしまったのです。その時、その恋がまさか半年くんだりで終わるとは夢にも思いませんでした。

小説ではないので結果を発表しますと、彼女んちは一家で某巨大宗教団体にて仏教らしきものを信仰していたのですね、交際1カ月目くらいで知ってしまったのですが。これがまた勝手にやっていてください、僕は絶対にやらんから折伏は勘弁してください、で割り切れないものでした。境界線を彼女ではなく、その両親が超えてくるものですから、当時子供であった僕にはそれらがキチガイ沙汰にしか受け取れませんでした。徐々に詰められてきた僕は身の危険を感じるとともにスパークしてしまい、彼女との交際を終えさせて貰いました。同時に男女交際の限界をも知ってしまったのです。

まぁ、そんなこんなのティーンエイジャー時代でした。

NaoyaTakeda

2023/05/08

半生を振り返ってみた(3)

21歳から25歳、1986年~1990年の4年間、師匠のローディーをやりました。いきなりですが、この時期が己の人生で必要であったか?今を持って解らずにいます。今や交流の無くなってしまった師匠ですが、大人になるために必要な哲学を沢山教えて貰いました。しかしながら、師匠に仕えた4年間が本当に僕にとって良かったのか?マジ、解らなくあるのです。

生まれてからそれに至るまで、我儘放題、超自分勝手に生きてきた自分の鼻っ柱を見事に圧し折られたような衝撃!!大袈裟ではありません、人に仕える事が、ここまで自信喪失させるとは.....あ、思い出してきたら気持ちが悪くなってきました。それでも師匠の仕事仲間の間では、偉そうだ、生意気だと言われ続けてきたわけです。途中入院、手術沙汰になったり、故クラリネット奏者と一触即発になったりとか......我ながら今思い出してもよくぞ耐えたなぁと、目頭が熱く......なりませんけれど、クールでいられない日々でありました、オエッ........

ローディーの仕事とは、師匠がプレイする以外の雑用を全てやるみたいな、ボーヤと言われてましたが、たまに師匠の仲間から「ボーヤ借りていい?」などと物扱いされたり、まぁ、最悪の扱いでして、後進の少年少女には勧められない修行です。因みに何故ボーヤというのか?今を持って知らずして、知ったらムカつくだろうからしらべていないみたいな、興味がある方はググッてみてください。

NaoyaTakeda

引っ越しました。

竹田直哉's Lonzatusプレミアム、引っ越しました。 https://takeda708.blogstation.jp/ 申し訳ありませんが、ブックマークの変更お願いします。 NaoyaTakeda