2023/05/19

最後でマジになってみた。

最寄りである西武池袋線のひばりケ丘駅プラットフォームにて、列車の到着を待っています。夜の10時までぶっ続けで楽器に向かうのが嫌だったもので、散歩がてらネコ天まで行ってみる事にしたのです。

最悪です。下り電車だというのに椅子に座れませんでした。まぁ、急行列車に乗ったので所沢まで一駅、良しとしなければなりませんね。

乗り換えで西武新宿線所沢駅プラットフォームにいます。あと4分で本川越行きが到着するので、それに乗ります。

本川越行きに乗車中です。もち!シルバーシートです!!だって僕、初老なものですからいいのです!!しかし、見た目が若作りである自分はたとえ同じ年代の方であろうが、席を譲らないと周囲から批難されてしまう気がします。

新所沢駅で一般の座席が空いたので、移動しました、これでやましさが消え去ります。今気が付いたのですが、列車内、冷房が程よく効いています。そりゃそう!外は暑いったりゃありゃしない!!

無意味な列車搭乗実況をしてしまったのでこのロン雑の締めとして語らないといけなくなりました。語ると言っても昨今の僕は真面目に根暗をやっているので発言したいことがないのです。あ!?南大塚はいよいよ次の駅となりました。続きは帰り道という事で………

西武新宿線南大塚駅上りプラットフォームにて。

聴き手(リスナー)は「音色が全て、それしか聴いていない、内容など何でも良い」と言う意見に考えさせられています。勿論、25年前に某大手レコード会社からほんの一時期、期待のメロディメーカーと言われ天狗になりかけ、力一杯こけた自分……今もなお、その時期に学んだ楽器を奏でる事においてのリズム、それに乗る音列の重要性を1番に掲げるわけですが、素人意見にドキッとさせらることしばしありまして……確かに音色一発でノックアウトって良く聞くよなぁと……う〜ん……わからん。まぁ、とにかくプレイの内容はフィーリングと表現力、それに自信が持てなければ、自分の放つ音をロジカルに捉える……音色はね、ブッチャケ良い事が必須条件なんじゃないかと……思います、ハイ!!

お!?最後にミュージシャンらしい発言ができました、センキュー!!

NaoyaTakeda

2023/05/18

マジな自分に酔いしれてみた。

半生を振り返るシリーズを続けたいのですが、オフレコ体験だらけであることから、更新難に陥っています。それでも少しづつ読者の方が増え始めており、嬉しい限りです。3月にスタートした「竹田直哉の格納庫」、これが中々UP出来ずにおりまして、チャンネル登録者数が全く伸びない状況にあります。まぁ、公開格納庫なだけなので、仕方がないとは思っています。

さて、次のライブはピアニストのノリ・オチアイとの双頭トリオで6月1日、立川ジェシージェームスです。ブッチャケ、僕のチャレンジセッションになるのかもしれません。お送りする演目には自身の今までのムーヴメントではありえなかったモーダルな曲が数曲入っているのです。和声的なⅡーⅤ7_Ⅰが全くない曲想にて如何にして自分の歌い方が可能か?ノリさんが面白がっているようにも思えてしまうのですが、実際のところは自分がやってみたくありぃの、チャンスだな?なんて思ったりしているのです。勿論、自分のスタイルは曲げない......って言うか、普通に口ずさめることしか出来ないですし、それを受け入れてくれるノリ・オチアイは現代のコンテンポラリージャズスタイルでありながら、この人の右に出る者はいないのではないか?と思えているくらいジャズのベーシックな部分を充分に持ち合わせ理解してくれています。よって、僕は色々な事を教えてもらい、かつリスペクトしまくりの逸材なのです。オールドジャズスタイルを知っていることは、彼に言わせれば当たり前の事みたいですが、僕の知っている限りのコンテンポラリージャズスタイルのプレイヤーのほとんどがスゥイングという言葉をも使えないレベルにいるのが現状と言ったところなのです。

僕のライブ等における活動が先細り傾向の道を辿っております。ちょっと胃が痛いのが治らなくありナーバスにもなっていますが、今はとにかく考える時期だと思い、何はともあれ思考し続けています。

NaoyaTakeda



2023/05/16

ヤバき1日に浸ってみた。

2023/05/16、今日は都内某総合病院に定期検診のため来ているのですが……検査結果待ちの現在、僕はもの凄くブルーな精神状態にあります。絶対に良くない結果だと思えるからなんですね、ここんとこ体調が良くないのですよ、ヤバいんです。

そんなこんなで午後4時、とっくに帰ってきて一寝入りして、遅めの昼食を採り現在は楽器に向かっています。検査の結果は前回と平行線、良くも悪くもなっておりませんでした。結局のところ、脂肪肝、中性脂肪とこの2つでして、減量するしか手段がないのです。やってられません。

悪き精神状態の原因は先々、重度の先細り傾向にあるライブ活動にあるのです。僕の場合、闇雲にライブを企てても集客力の弱さから、仕事として成立しない問題に直面しております。よって対策を練る日々に突入しているわけですが、やはりプレイヤーとしての血が騷ぎっ放しであるからギグがしたくてたまりません。事態は深刻なわけですが、今ひとつピンと来ていない自分を自分で叱咤しなければいけない状況なんです。

昨今に至るまではコロナ関連の支援金を活動費にあてて、JAMセッションに参加して技能をキープしてきましたが、それもそろそろジ・エンドと言ったところで、資金の底が見えてきました。楽しき日々が次々に失われていく昨今なんです。

"脳"が自分にどれくらいあるのか?自身の事だけにわかりませんが、とにかく、考えに考え抜かなくてはならない時期であることに間違いありません。

NaoyaTakeda

2023/05/13

半生を振り返ってみた(7)

20歳を過ぎていたのは記憶しているのですが、西暦何年頃、季節、全く割り出すことが出来ない出来事です。

幼馴染のフィッシャーマンから一本の電話がかかってきました。「手を貸してほしい.....夜の10時過ぎに迎えに行く.....」と。約束通りの時間に愛車のトヨタのランドクルーザーで迎えに来た彼は僕を乗せ、再び車を走らせると「〇川市に行く.....」とだけ告げました。「何が起きたんだよ!!」と僕、「......大量のコミックスがナイスな状態で捨ててあったんだよ、売れるぞぉぉう!!」とフィッシャーマン、なるほどねと思った僕は半分のわけまいをちゃんとくれるのか?不安になりました。

現場は都営住宅の敷地内でした。フィッシャーマンのサックスの先生の住居でもありぃの。ゴミ捨て場に向かうと思いきや、階段を上っていくではないですか!?後をついていくと足を止めたフィッシャーマンは「これだよ.....」ぇえ!?確かにきれいなコミックスは大量にあったのですが、その下に風呂敷のようなものが敷いてあるではないですか!?「おい!?これ....引っ越しか何かでもっていくんじゃあ」「シーッ!声がでかいよ、竹ちゃん!!」僕には窃盗の片棒を担がされているような気になりながらも、二人で無駄な動きひとつもなく作業を開始、15分位でランクルにすべてのコミックスを乗せ、仕事を終了させました。

帰り道、やっとリラックスできて一息つきながら帰るランクルのなかでフィッシャーマンは「6:4ね!」と。僕はマジかよ!と思いながら、ま、いいかと............

次の日にそれをブック〇〇へ運び、結果7千円弱の現金が手渡され僕には3千円くらいだったか?へんな仕事を手伝わされました。

NaoyaTakeda

2023/05/11

半生を振り返ってみた(6)

「アンダーグラウンドフィッシング」に夢中になったのが、1998年~2000年位だったと記憶しています。どういう行為に及ぶかというと、近隣の釣り禁止野池にて見回りのオヤジにとっ捕まることなく巨大ブラックバスを釣り上げるみたいな.......当時、それにいそしんでいる人口の平均年齢を述べますと12歳くらいといったところでしょう。そこに僕と幼馴染のフィッシャーマンの2人で突如参入した事から平均年齢はグッと上がりました。

得てして魚は日が昇った時と日が落ちる時が狙い時、そして見回りのオヤジに至って、その頃は見事に退いていることから伸び伸び取り組める訳ですが、僕の仕事柄、日が落ちる時間帯は仕事の現場に向かってクルマを走らせていて.......しかし、誘惑に負けてしまうのは自然の生理現象、ダークスーツにネクタイ姿で釣りにいそしみました。「あと10分....」「もうあと5分だけ....」といった感じでリハーサルをすっ飛ばすこともしばし.......ぶっちゃけ、本番に遅れたこともありました。因みに今現在はそんな最低な輩は許しません!そんな自分はヤンピコンピしました。本当です!!

そんな釣り中毒を罪悪に感じ始め、音楽で自立できるまで竿を置く決意をしたのです。その時の僕は(2,3年でまた始められる)と信じて疑はなかったのですが......今を持って竿を握ることはありません。

NaoyaTakeda

2023/05/10

半生を振り替えってみた(5)

 1996年、1997年の2年間を友人のラテンコンガ奏者のプロジェクトに参加させて貰いました。ヴィブラフォンも叩きましたが、主に力を注いだのは専属歌手の為の作曲でした。

その時、世に出せた曲はYouTube「竹田直哉の格納庫」にて聴けますので、どうかひとつ.......

あえて脱線と言わせてもらいますが、それをしていた2年間は実に有意義でありました。良し悪し共に、すべてが素晴らしい経験であったと今では胸を張って言えます。ここでは作曲に関してだけ述べさせて貰いますが、自分にはプロの作曲家としての才能がなかった事を思い知らされたのです。良いと思える1曲を1週間も2週間もかかって作っていちゃあ駄目なんです。駄作であろうが、プロとしてのレベルに達する曲を"溢れ出んばかりに"1日に3,4曲作れる逸材でないと...............それが例えパクリ丸出しであろうが..........

そんな最中、今も口にする持論、哲学かな?が生まれました。それは「作曲は上手くなるもの」という事です。よって、やっていないと下手にもなるから不思議なんですね。僕もかれこれ15年以上曲を書いていないので、再び始めた暁には、駄作を4,5曲作ってからでないと、作曲の波にはのれないと思っています。異常な音痴でない限り、音楽を好きであれば、良い曲は作れるようになると僕は考えています。

僕にとっての”溢れ出んばかりに”とは何なのか?を考えた時に、JAZZのアドリブだと思えたのは、すごく大きな発見でした。おのずと自分が何をしていくべきか?が明確に解った瞬間でした。

NaoyaTakeda

2023/05/09

半生を振り返ってみた(4)

「好きあっていても交際できないってあるんだな.......」男女交際の限界を知ってしまったのが17歳ででした。高校で留年した僕は高校一年生で既に17歳だった訳ですが、それって満更悪い事ばかりじゃあなかったのです。

女子からすると、いわゆる年上の大人の男であれたのですから、ティーンエイジャー時の一歳の違いってデカいっすよー、自分の小遣いはバイトで得ていたし、原チャリで登校していたし、ネクタイはスゲー細くてズボンは型の良いスラックスだったし........楽しかったりしたのです。そんな事が最大限に生かされ、同じクラスに彼女まで出来てしまった自分に一時酔いしれたりしちゃって......マジでその子を好きで、人生なんて楽勝だと思うところまで登りつめてしまったのです。その時、その恋がまさか半年くんだりで終わるとは夢にも思いませんでした。

小説ではないので結果を発表しますと、彼女んちは一家で某巨大宗教団体にて仏教らしきものを信仰していたのですね、交際1カ月目くらいで知ってしまったのですが。これがまた勝手にやっていてください、僕は絶対にやらんから折伏は勘弁してください、で割り切れないものでした。境界線を彼女ではなく、その両親が超えてくるものですから、当時子供であった僕にはそれらがキチガイ沙汰にしか受け取れませんでした。徐々に詰められてきた僕は身の危険を感じるとともにスパークしてしまい、彼女との交際を終えさせて貰いました。同時に男女交際の限界をも知ってしまったのです。

まぁ、そんなこんなのティーンエイジャー時代でした。

NaoyaTakeda

引っ越しました。

竹田直哉's Lonzatusプレミアム、引っ越しました。 https://takeda708.blogstation.jp/ 申し訳ありませんが、ブックマークの変更お願いします。 NaoyaTakeda